テンポラリーな自由と何をやっているんだろう感。

イマイチしっくりこない感覚。よく感じる。
まあ、いまにはじまったことではない。
いまではこんなものと感じているもののほうが当たり前のことだとさえ感じるようになっていた。
何かをするつもりだったし、しないとと焦っていたけど、まあ生きている。
学生時代という加護が終わり、真の意味での自活が始まって、お金を気兼ねなく使えるようになった。
いままで我慢しながらやっていたこと、言い換えるなら、ブレーキをかけながらアクセルを踏んでいたことがあったことを、躊躇なしにやってみれるようになった。そう、自由の味を占めているのだ。
これも、やっとこさ契約までこぎつけた給料人間生活によって保たれている余暇の中での限定的な自由なわけだが、日常という名の労働が、これが何をやっているんだろうな自分感がすごい。得意なので苦ではないのだが、どこか無理矢理成長余白をみつけて、塗った分を学びという言葉をつかって表現してみたりしている。うーん。でもね、この一手間は、無意識的に惹かれることに関係している時にはないはずなんだけどな。いや、あるということが思い込みなのか。
何をやっているんだろうな自分。早く、自分の人生をみつけなさい。