旅先で旅について考える。

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山梨市からみた富士山, 山梨市

 

旅先で何をしているの、旅をしなさい!とお叱りを頂戴しそうですが、旅に出たものの特に行きたいところもないので、ちょっと書物をすることにしました。残念ながら、そして、いつもながら、今まさに、旅が上手くいっていないという感じがしています。理想の旅がもっと別の形として、存在するのではないかと考えずにはいられません。旅をしているのに、その中で旅をしていない、なんていうことでしょう。

 

旅をする理由は、人によって違うのはあたりまえのことですが、自分の場合はどうなんだろうとしばらく考えた末、ありふれたな答えにたどり着きました。日常から離れるということ。答えが出ているなら、ぐっと解釈を推し進めればいいでしょう。つまり、日常と非日常に数えられる項を数え上げて、境界域(境界線ではない)をこれまでに以上に明確にすることができればよいでしょう。さあ、日常を定義しましょう。(今はしません。)


今回の旅には、あろうことか日常を持ち出してしまいました。パソコン、専門書、Wifi、充電器、3DSぷよぷよ。Oh... 日常そのものではありませんか。充電器にバッテリーまで用意周到にかばんにつめられて、これはもうぷよぷよをして一日が潰れるという黄金のルートがみえています。非日常で日常をやるなんてトンチみたいな旅になっています。しかし、この持ち物構成はなるべくしてなったものでもあります。むかし友達が教えてくれた休暇の過ごし方を倣って、こじんまりとした温泉旅館に連泊して、部屋でひたすらpythonのライブラリをいじろうというと思っていました。疲れたら温泉にはいり、飯をくらい、地酒を飲む。雪をみて、星空を眺める。そして、天井を見上げて、あーいい休日だと思って寝る。

でもなにかうまくいかない。きっと、予定していない充実感を求めてしまったのがこの旅の失敗部分でしょう。(成功部分もあるある。)やりたいことはあっても、それを実現する具体的な手段が考えられていない。また君か、計画性。365日、エブリデイ、選択と決断、計画と実行。はあ…。計画という牢屋を自分で建て、その中に自分を幽閉し、必死で脱獄するようなイメージでないと、上手く旅なんてできないのだろうか。いや、こんな旅のメタファーは嫌だ。

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喫茶ダン, 甲府市


今回気づいたのは、良い旅行をするのは簡単なことではないのかもしれないということです。旅は簡単で、よいことがあるものだという思い込みのようなものを知らず知らずのうちにもっていました。絶妙な期待値と勘と運。良い旅の裏側では、これらが絶妙な良いリラックスとかのんびりとかいっていないで、仕事をするときのような勢いと気持ちで、場所を決め、土地を動き、精力的に動いたほうがいいのかもしれません。就寝起床だけしっかりする。人によって違うと思うけれど、自分のケースでは、のんびりだらだらは駄目みたいです。(同じようなタイプの人はいるのだろうか。)これからは、「勤勉に」旅をする、そんなスタイルを構築してみたいと思うようになりました。

 

旅のスタイルというのは、次第に確立されるものであって、最初からうまくいくということはないのかもしれないません。旅の荷物について言えば、スーツケースでいってやっぱりリュックのほうが可動性がいいと思ったり、pcをもっていってこんなものは重くていらねぇと思ったりという傾向把握と対策がとれます。荷物の方はほとんど失敗することがなくなったのですが、一方で、何をするのかという方はまだまだ前進の余地が多分にあると思います。最近、全部旅先で縁があることに任せる的な旅にも限界を感じてきました。ひとまず、限界と言葉をつかいましたが、それ以外の力をつけるという意味の方が思っていることに近いかもしれません。特に予定も無いのにどこかに行くのはそれでかまわないのですが、「どこに行く」の段階から選択を強いられ続けて精神的に疲労するし、さきほども書いたように、なんかもっといい旅程や旅先があるんだろうな感、が拭えません。

もうすこし旅考すべし。